人あたり(人中毒)とは何か
よしたにさんの漫画を読んでコミュニケーション疲れを「人あたり」と表現していたのがうまいと思い、自分も使ってみることにしました。
ぼくは人体に無害なものでも過剰摂取することで死に至る水中毒からとって、人中毒と呼んでいました。
過剰なコミュニケーション疲れ(※当人にとって)を人あたり(人中毒)と呼称したいと思います。
人あたり(人中毒)の症状は
などがあり、ストレスが大きいほどより過激な反応がでるように思います。
人あたり(人中毒)はコミュニケーションやリアクションの筋肉痛
- コミュニケーションの場に出ること自体がストレス
- 発言時の言葉選び
- 相手や場の状況へのリアクション・反応
これらが頻発することで人あたり(人中毒)が出てきます。
コミュニケーション能力も筋肉みたいなものと捉え、酷使による疲労だと考えています。
ただ、筋肉痛は物理的に体が痛いですが、人あたり(人中毒)は自覚しないとただ疲れた、疲労感を感じるという無自覚の疲労として処理されてしまいます。
コミュニケーションで疲れていることを自覚して初めて対処ができるものだと考えます。
人あたり(人中毒)は発散もしくは順応で対処する
人あたり(人中毒)の対処は2つあると思っています。
1つは発散で疲労よりも強いエネルギーを使用することで、コミュニケーションの疲れをいやします。
具体的には没頭する趣味や、仕事やタスクに集中して、別の部分の能力を酷使して疲労を忘れます。
こうやってブログにアウトプットも発散の一つだと思っています。
もう1つは順応で、人あたり(人中毒)の疲労を自覚して過剰ではない防御を行います。
親しい間柄で相手に理解があれば、人あたり(人中毒)を説明して、弱い反応(笑顔の反応や良いコミュニケーションをしない)を許してもらうこと。
仕事であれば真面目に聞くふりをするけど出来る限り聞かないこと。
あなたが上司であれば会議を改めてもらうか、別の形(メールやチャット)の報告に変えてもらうこと。
拘束されて発散できない・一人になれない、上司や家族の圧が強くコミュニケーションを回避できないときは、心をどこかに置いてくるといいです。
心ここにあらずで出来る限り反応しない、気持ちを寄せない。
この記事を読んでいる方なら、ここに気持ちを置いていって、落ち着いたら取りに来るといいと思います。